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2011年 12月 14日
今年も残り半月ほどとなりましたね。 そろそろ年末恒例の大掃除大会を画策しています。 大掃除大会・・・「〇〇はどこいったんじゃ~」とムキになって探してたものが見つかる日でもあります。 今年一年はいろいろと大変な年でした。 来年は良い年になりますよう・・。 2011年 10月 03日
私は読書が好きで、ジャンルを問わず小説から専門書まで雑多に読みこなす。しかし困ったもので、読み終えた本を捨てられない私の部屋は本で山積みになっている。そこで最近気になるのがiPadだ。最近は流通も安定してきていて、よく街中で使っている人を見かける。このタブレット型コンピュータひとつあれば本などをデータ化して、物理的な問題を解消しそうだ。 ただ、単なる読書好きならば、気軽にどこでも読みたい本のデータをダウンロードするだけで読めるこういったメディアプレーヤーは魅力的だろう。しかし、私にとっての読書というものは紙という質感と一体になっていて、ページを読み終える度に紙を一枚めくる。この時の紙の質感が堪らなく好きなのだ。もしかすると紙フェチ的なところがあるのかもしれない。 もし、物事の本質的な部分だけを楽しむというのであれば、『読書』という行為自体はiPadだけで十分楽しめるだろう。しかし物事を経験する時、人はさまざまな付加要素も嗜んでいる。例えるならば、食事行為など人間が栄養を摂るという行為の本質を達成するには、栄養剤を摂取するだけで事足りる。しかし人は栄養を摂る時に、味覚を楽しみ、臭覚や視覚でも楽しむ。それら付加的要素は人の生活的要素なのだと思う。もし、栄養剤によってのみ食事するのであれば、それは生存行為でしかない。読書においても、人は本を作り始めてから、物理的な付加的要素とパッケージで読書を嗜んできた。そういう意味でいえば、人が脈々と続けてきた従来の本を読むという行為は電子書籍による読書とは全く別のものと言える。 しかし、こういった物的な付加的要素の排除は今までもそうであったように、科学の進歩とともに加速していくのだろう。そして、人が究極的にまで物的な『モノ』に対する要素を排除して、その先にあるのは意識のみで生きていく事。つまり人の未来は、従来より続けて来た生活的要素を排除し、生存的要素のみで生きていける無鑑賞な人の世界になるのだろうか。 2011年 07月 14日
左ひざの回復があまり良くないようで、先日MRI検査したところ、あまり治癒している様子がみられない。 もしかしたら、もう剥離した骨は治らないかもしれないと言われ焦ります。 別につかなくても痛みがなければ問題ないとの事ですが、痛みがある場合は手術になるようです。 手術も苦手なんですけど、またあの寝たきりのような生活に戻るのが辛すぎます。 自分の治癒力・・本気だせ! 2011年 05月 22日
足を骨折してからというもの隠居生活のような暮らしをしていました。 でも、先日担当の医師が激しい運動以外なら動かしても大丈夫だよというので、一気に活動的に。 と言いたいところですが、いまだに骨が剥離している状態なので、リハビリも兼ねてゆっくりやっていこうと思います。 昨日は作品の事でミーティングに行ってきました。 次回の製作は昔からの友人I氏とコラボ製作をすることになったのですけど、なにせ今まで作品に関しては自分の中だけで考えて答えを出してきたので、人と意見を交換しながらコンセプトを詰めて行くって作業が新鮮で、面白いものが生まれそうです。 まぁ、概ね軸となるコンセプトは決まっているので、あとは表象的な面白さとそれぞれの行為の連携をどう濃密に詰めて行くかといったところでしょうか。 でも、そこは旧知の仲だけあって、どうもふざけた案が色々飛び出して・・まー話しがなかなか進みません。 映像案が出た際にも「お互い交合に撮って、嫌な事をやらせよう」とか・・そんななごみもいいですけど。 まじめにやろう。 2011年 03月 18日
今日、ギブスを着けた足のかゆみ止めを買いにドラッグストアに行こうと家を出ると、家の前の細い路地が車で埋め尽くされていた。どうやら少し離れたところにあるガソリンスタンドに給油する為の行列のようでした。しかし、近隣住民が車を出せないので、並んでる車のドライバー達とケンカみたいになっていた。どうやら警察を呼んだようだ。冷静に・・。 痛い足を引きずりながら辿り着いたドラッグストア。停電からの営業再開前とあって行列が出来ていた。その行列に並んでいると、開店と同時に後ろのおばさんに突き飛ばされそうになった。しかし、そんな事はお構い無しに、おばさんは食料売り場の方に突進していく。 売り場ではちょっとおぞましい光景が見えたような気がする。政府がお願いしている『買占めはしないように』という言葉は一切届いてないように思えた。 『買うな』といわれれば買いたくなる。『無くなる』と感じれば占めたくなる。日常時において『期間限定商品』に反応してしまうのと同じで、リアクタンス理論を過剰に反応した状態なのかな。 買占めをしなければ、そのぶん物資を被災地にまわせる。 被災地への募金や援助は余裕がある人がやれば良いと思うが、そうでない人もせめて援助の足を引っ張ることはしてはいけない。 2011年 03月 16日
被害にあわれた皆様に心よりお見舞い申し上げます。 重ねて、犠牲になられた方々とご遺族の皆様に、深くお悔やみを申し上げます。 まだまだ余震がつづいていますが、より早く元気を取り戻し力強い復興ができると信じています。 私自身も足の骨折などで満身創痍ですが、できるだけの事をしようと思います。 2011年 01月 24日
昨日の夜から蕁麻疹と戦っています。 足元から発症して、現在は顔にまできました。 まー地獄です~。 元々はそんなアレルギー体質じゃあなかったんですけど、去年の年末に同じように蕁麻疹がでて治るのに5日ほどかかりました。 なので、今回は抗ヒスタミン剤を買ってきて早めの対処をしてます。 その蕁麻疹ですが、写真を撮ったので載せようかと思ったんですけど、写真で見ると凄く気持ち悪くて・・自分でドン引き。載せるの自重です。 しかしそれにしても、紫外線過敏症・乾燥肌・偏頭痛とどれも自慢出来るほど重度な肩書きを持ってる私に蕁麻疹も加わるのかなぁ・・。 2010年 11月 22日
脅かすものがどこにもいないということが、不安の相手・対象を性格づける。不安は、自分が不安がるその相手が何なのか知らない。しかし「どこにもいない」は、何もないの意味ではなくて、そのうちには、本質的に空間的な内・存在にとって方位一般、世界の開示性一般が存している。それゆえ脅かすものはまた、一定の方向から、近さの内で近づいてくることはできず、それはすでに〈現に〉有り――しかもどこにもなく、グッと〈鼻先に〉迫って息も吐けないほど近くて――しかもどこにもない。 Heidegger,Martin 『存在と時間』 岩波文庫 以前の個展にも使わせてもらったんですけど、すごく気になる言葉。 不安の対象は世界そのものであり、同時にその世界から脱落することによって自分自身が不安の対象となる。 2010年 10月 28日
![]() さむいですねー。 一気に冬になった感じで、10月にしては72年ぶりの寒さとか。。 今年の気候はなにかと記録づくめでした。 最近、粒入り蜜柑ジュースにハマる。 昔、おやじに遊びに連れて行ってもらう時に、買ってくれるジュースはいつも粒入り蜜柑だったのを思い出しました。 好みって、こうして作られるのかもしれませんね。[ 2010年 10月 04日
少し間が空きましたけど、またボチボチなんか書きます。 とりあえず、感想肌の体が秋を感知しました。 |
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